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原題:PV’s Playhouse – The Truth about Innovation
Posted by Paulo Vitor Damo da Rosa
April 27, 2011
Hello!
僕が「デックビルダー」と見なされることは滅多にありません.近年,僕は強力なトーナメントデッキを多数手がけてきましたが,皆が思いもつかない凄いアイディアから生まれたデッキは殆どないのです.僕が最も関与したデッキ―PTオースティンでのDarkDepth―も,核となるアイディアは僕が思いついたものではありません.デッキ内の52枚のカードはおそらく僕の選択によるものなのでしょうが,Hexmage/Depthsが僕から生まれた訳ではないのです.
しかし,それでも僕はPTで好成績を挙げ続けられています.実際,僕はかなり強力なデッキを携えて出ていますから (それが僕の独力で作れたことは一度たりともありません).この記事の目的はデックビルダーでない人の目線からのデッキ構築術の説明です.皆が陥りやすいミスを挙げ,いかにしてそれを乗り越えるかについて語ろうと思います.
創造性(Innovation)―最も過大評価されているもの
ちょっと前に,AJ Sacherが「創造性」がいかに過大評価されているかについての記事を書きました.その反論として,Conleyは「創造性」が実際には過小評価されているとの記事を書きました. 私見では,どちらの意見も正しいです.僕は自身を「デッキビルダー」ではないと言いましたが,それは僕が何もアイディアを持っていないことを意味しません.沢山持っています.そのうちの大部分―いや殆ど全部といってもいいでしょう―は実際に使えうるものではありません.なぜでしょう?僕を含めて,皆はなぜ使用に耐えないアイディアを思いついてしまうのでしょう?
その様なことが起こるのは,僕が普通の人だからです.恐らく貴方も僕と同様に普通の人でしょうから,劣悪なアイディアを多数抱いてしまっているはずです.そうでない,と思うのなら,それは貴方が現実を認めたくないだけです.高いレベルで成功したいのなら,大抵のアイディアはまず使用に耐えないものであることを認める必要があります.僕由来のアイディアでも,AJやConley,Mark Rosewaterが思いついたアイディアでも,どれもそうなのです.
プレイングにおいても構築においても,時には本筋から離れたところか見つめることが必要です.しかし,僕には皆がそれをかなりやりすぎているように思えます.貴方がもし本当に勝つことのみを目的としているなら,考えるべきは何がベストかについてで,なにが最も人と違うかとか,革新的だとかそういうことではないのです.僕が好きなハリー・ポッターの名言のひとつ(素晴らしい作品だから一杯ある内のひとつだよ.ほんとだよ)に,Dolores Umbridgeが5巻で言った” 進歩のための進歩は、奨励されるべきではない(rogress for progress’s sake must be discouraged注:勝手に訳しました,翻訳版教えて貰えたら置き換えます ランサーさんあざっす )”という言葉があります.人と違うことをするのは,その必要が生じた時にすればいいのであって,「旧習を打ち破る挑戦者」扱いをされたいがためにそんなことをしてもMTGにおいては何も生まれません.こうした点において,僕は創造性が大いに過大評価されていると述べているのです.貴方独自の企てによる奇襲から得られるアドバンテージは、貴方が思っているほど大きくなく,実際にはせいぜいその1/10程度しかないでしょう.大抵の場合,質の劣るカードの採用を埋め合わせる程のものではないのです.
といっても,これには別な側面もあります.僕はMTGのゲームにおいて,創造性が害悪になりうると考えていますが,盤外で素晴らしいご褒美をもたらすこともあります.Conleyの記事から引用してみましょう.“長い目でみた勝率を増すことを考えないのなら,恐らく今している様なことをしないだろう(If we did not think that we were improving our chances at winning over the long run, we would probably not be doing what we are doing.)” 「MTGにおける勝利」を単純なゲーム単位での勝利以上のものとした場合は,この意見は全くもって正しいと思います.創造性を発揮することができれば,貴方はMTGのコミュニティで一躍有名になれるでしょう.皆革新的な物事が大好きですからね.また,独自のデッキでゲームをするのはゲームで勝つことより単純に楽しい,という人もいるでしょう.こうしたことによって得られる喜びが,1マッチの勝利より重要なこともあります.僕は、皆が創造性を発揮したがるのはこれが理由だと考えています. たとえ意識的でないにしても―独自の策謀によって勝機を掴んでいるところだと信じ込んでいても,実は人と違ったことがしたいだけだったりするのです.
もう一度Conleyを例に考えて見ましょう.彼はとても有名なプレイヤーで,多くの人が彼を知っていて、そして愛しています.これは彼の成績がもたらしたものでしょうか.とてもそうとは言えません.もちろん彼の成績は悪いものではなく,むしろかなりいいのですが,彼の人気ぶりを説明できる程のものではありません.彼と同じくらいの成績を残していても,名前を聞いたことすらないプレイヤーはたくさんいるでしょう.彼があれほど有名で人気者なのは彼が一風変わったデッキを使うからです.この点において,最適な、優秀なデッキを使うのではなく,創造的であろうとする彼の振る舞いは,Conleyにより多くの報酬をもたらしています.彼が無難なデッキを選んでいれば,GPであと2つはTop8に入れていたと思います.しかしそれによって+2回のTop8を成し遂げていたとしても,彼の知名度は恐らく今より低いでしょう.
ここは勘違いしてほしくないのですが,僕は何が正しいかとかそういうことを話したい訳ではありません。ただ何がどうなっているかについて言及したいだけなのです.僕は皆が何を目的にしてその行動を取っているのか完璧に理解していますし,それが間違っているとは思いません.といってもConleyには、普通のデッキを使ってのベスト4より、野心的なデッキを使ってのベスト8を量産してほしいのですが.僕が伝えたいのは,自分の行動の背景にあるものを理解して欲しいということです.あなたがちゃんと自覚的な選択が行えるように.もしあなたがマッチそのものの勝利を望むのなら, 大抵の場合単純に“good deck”を選べばよくて,名声や評価,fortune, womenが欲しければ創造的なデッキに挑戦すればよいのです. ただ理解しておかなければならないのは,創造性を発揮するのはかなり×3容易いということです.しかし創造性を発揮したデッキが評価を得られる程に勝つ,というのはかなり難しいのです.創造性の高いデッキを僕はいたる所で目にしますが,“有力な”選択肢を選ぶことを諦めたら,創造的であることは難しくないのです. 僕はその様なことをすることは誰にでもできることで,それで得られるメリットは大したことがないと見なしています.どのイベントでもConley Woodsの様なことをしている人が100人はいますが,貴方はConley Woodsしか名を知らないでしょう.その枷にも関わらず,十分な勝利を挙げているのは彼だけだからです.彼はほとんどどのイベントでもオリジナルのデッキを使っているので,そういった結果が伴うのでしょう.マッチについて言うのなら,彼はオリジナルのデッキを使うことで,今以上の勝利を断念しているのです.
こういった話を,僕は傍観者の視点のみから述べている訳ではありません–僕自身にもそういった経験が確かにあるのです.一風変わったカードやデッキを,それが強いという以外の理由でプレイしたことは何度もあります.かなりはっちゃけた経験もあります.もしかしたらご存知かもしれませんが,僕がまだまだ若かった頃,GP Curitiba(エクステンデッド)において《機知の戦い/Battle of Wits》デッキを使ったことがあるのです.僕がこのデッキを使った理由は,それが最善のデッキであったからではありませんでした(そしてその事実を認めるのには長い時間が必要でした.本当です).といっても,それが恐ろしく酷いデッキだとは考えていませんでした.実際に勝てるデッキだと考えていましたが,who are we kidding?僕がそのデッキを使った理由は,人と違うから,認められたいから,カバレッジに載りたいから,というものだったのです.その目論見は満たされました–2日目にすら残れなかったのに,僕は写真を撮られさえしたのです(3bye持ちで,7ラウンドしかなかったのに!結局いい結果を出す必要がないのなら,それなりに風変わりなデッキは他にもあるはずです). トーナメントが終わった頃には,誰もが僕がだれだか知っていました–そのGPにおいて5位でフィニッシュした人より,“「機知の戦い」小僧”の方が認知度が高かったと僕は思っています.しかし,この結果には価値があるでしょうか?それはNOです.真面目なデッキを使っていたら,と今では思います.殆どの人が僕を愚か者だと見なしましたし,それはいい意味での名の売れ方ではありませんでしたからね.
内面から生じる罠
自分で組んだデッキが素晴らしいものであると切に思いたがるのは,デッキを構築・選定する際に生じる問題のひとつです.目指した大会に向けて構築・調整した独自のデッキで優勝したいいう願望はだれもが持っています. TOP8の実況において,自分が組んだデッキがいかに前代未聞のものかをBrian David-MarshallとRichard Hagonが解説している場面を妄想したことは誰もがあるでしょう.Mark Rosewater が,環境を壊すカードを刷ってしまってごめんなさいとツィートする場面とか.そんなことが二度と起きないために,開発部に採用されてしまうかもしれない…とか.ドヤ顔で優勝レポを書いている場面とか.Facebookのコメントがデッキについての話で埋まってしまって,MTGをやらない友人が困惑するといけないから自分のファンページを新たにつくらねば…とか. こういう境地に至ってしまうと,どんな行動をとってしまうでしょう?
自分のデッキが強いと信じたくても,大抵の場合そうではなく,そのデッキを断念せざるをえないということは,理解しておかなければなりません.最大の問題点は,周りを見ようとしない人ほど盲目的な人間はいないということです.そして,自分の創造性が絡んでくると,我々は非常に盲目的になってしまうのです.これがプレイテストの最中に生じるのです.
プレイテストをする目的は,何が良くて何が悪いのか,そして特定のデッキ/マッチアップにおいてどう動くべきかの解明であるべきです.しかし,大抵のプレイヤーはプレイテストそのものを深刻に考えすぎています.自分のデッキがいいか悪いかをはっきりさせるのではなく,皆に自分のデッキの強さを見せ付けたいと考えているのです.相手が用意してきたデッキを悪く言ったり,それを証明するために打ち負かしたりすると,怒り出すでしょう.こういう場合,彼らは負けると必ず言い訳をします. 相手がそういう状態に陥っているかは,次の様なことを言うかで判断できます– “僕は不運だ/キミはラッキーだ”というもっとも簡単でありふれた言い訳です.プレイテスト中に何度もこういう考えをしてしまう自分に気づいたら,一息ついて,ゆっくり考えてみましょう―そうではなくて,自分のデッキがそんなにいいものではないのかもしれないと.
しかしながら,これより更に尤もらしいが故に危険な言い訳が存在します.“僕のプレイが悪いんだ” というものです.
これがまずい理由は,譲歩している部分があるせいで,問題点を認めている様に見えてしまうことです.自分自身も,皆も妙に納得してしまいます.―しかし,既に1つ間違いを認めているのに,なぜデッキが弱いことは認められないのでしょう?間違いを認める寛容さがあるのになぜ?
では例として,両親が旅行で不在の間に初期を二つ割ってしまった場合について考えて見ましょう.親が帰ってきて,貴方は「犬がそれらを壊した」と説明したとします.それが信じてもらえるかどうかは分かりませんし,もしそのうちの1つを貴方が壊した証拠が見つかったなら,もう1つも貴方が壊したと親は自然に考えるでしょう.しかしもし,あなたが即座に「小さい方の食器は僕が壊したけどでかいのは犬が壊した」と説明すれば,信じてもられる可能性が増すでしょう.なぜなら,貴方は既に間違いを認めることができると示しているからです.片方の間違いを認められるのなら、2つ分の食器の間違いも認められると見なされるでしょう.なにかまずいことをしてしまったら,より些細な方のミスを認めてしまえば,早いうちから「逃れる」ことができます.プレイテストについて言えば,「プレイングが不味い」ということより「デッキが強い」ということの方がより重要なのです.しかしプレイングが不味いことを認めても,それはデッキが強いことの証明にはなりません!意識的にしろ無意識的にしろ,こういったことは容易に起こりえると僕は確信しています.そのからくりに自覚的であることが非常に重要なのです.
デッキビルダーの書いたレポートにはその様な表現が散見されます.有名なデッキビルダーはよく,僕はミスをしたから負けた,でも“デッキでは勝っていた”というようなことを非常によく言います.彼らがこんなことを言うのはデッキビルダーとしての名声をプレイヤーとしてのそれよりも重要視しているからです.デッキが弱いと思われるよりも,プレイングが下手だと思われるのを選ぶのです.その方が受け入れ易いのでしょう.また,調整が進んでいると引き返しづらいというのもしばしば理由となります.
もう1つ重要な点として,私たちは非常に選択的な記憶力を持っていることが挙げられます.負けるはずがなかったと感じたマッチは記憶に残りますが,当たり前の様に勝ったマッチはすぐに忘れてしまうのです.強いデッキができたと感じ,そのデッキ最初のプレイテストでもよく勝てた,という事も時にあると思います.しかしこの場合,対戦成績を気にするだけでなく,ゲームの内容もケアするべきです.貴方がただツイていただけだったり,対戦相手があまりよくないプレイヤーだったりすると,結果は歪んでしまっています.
GPダラスにおいて,野心的なデッキを使った友人がいました.彼は2日目進出に1勝足らず,という結果で終わったのですが,僕がデッキについて尋ねると”デッキはいい出来だったよ.負けたマッチは,どれも僕が違ったプレイをしていたら勝てたものだったから,2日目進出に値するデッキだったよ”という答えが返ってきました.彼の言は正しいのかもしれませんが,ならば彼が勝ったマッチはどうだったのでしょう?相手が違ったプレイをしていたら負けていたのではないでしょうか.負けたマッチにおいて,“デッキでは勝っていた”マッチを数えるならば,勝った試合における“デッキでは負けていた”マッチを数えなければフェアではないでしょう.こういう場合,貴方はただ自分を騙しているだけだと思います.繰り返しになりますが,人は受け入れ易いものを受け入れるのです.
強いデッキは強いカードを使う
最近,様々なライターが“強力なデッキは強力なカードを使う(good decks play powerful cards)”という様なことを主張していますが,私は手放しでは賛成できません.この主張には,どうやって“強力なカード”を評価するか,という問題点が潜んでいます.ありがちな方法としては,大会での10位までのデッキリストを作り,カードが総計何枚含まれているか数えるというものがあります.問題は,そのカードがtop10のリストに含まれている理由は,強いデッキに含まれているからだということです!こうしてMenendian の言うところの,ある種の堂々巡りが生じます“最強のデッキはより質の高いカードを使っていて,そういったカードは最強のデッキで使われている” –これは道理ですし,知的に見えますが(結局,貴方のベストなカードは最強のデッキで使われて,その最強のデッキは貴方のベストなカードを使うのです),実際にはなんの役にも立ちません.
これについては,“強いデッキは単体で強力なカードを自然に採用する(good decks will generally play cards that are intrinsically powerful)”と言うに留めておくのがよいと思います.強力なカードとは,“強力なデッキで使われる”というものではなく(それだと前述の堂々巡りですから)– そういったデッキを打ち破れるカードだとか,劣勢時に引いて嬉しいカードとか, 一枚で状況を変えられるカードとか,特定のシチュエーションで相手に引いて欲しくないカードとか,“なぜ俺はあのカードをデッキに入れなかったんだ!”と願ってしまうカードとかです.同じことが弱いカードについても言えます–引いてがっかりするカードや,“なぜこんなカード入れたんだ…”とか疑問に思ってしまうカードは弱いカードなのです.
《精神を刻む者,ジェイス/Jace, the Mind Sculptor(WWK)》が《羽ばたき飛行機械/Ornithopter(M11)》の様なカードよりずっとパワフルなカードであることはすぐに気づくでしょう.片方ずつ手にとって,それぞれのテキストを読めばいいだけです.これをやるための《精神を刻む者,ジェイス/Jace, the Mind Sculptor(WWK)》を所持していないなら,すぐにこの記事を閉じてください–明らかに貴方は真剣にMTGに取り組んでいません (これは冗談です.この手の話はKyle Boggeymansに任せましょう(訳注:カード資産とかカジュアルとかその辺についていくつか記事を書いてる)). 《羽ばたき飛行機械》を持っていないなら、これを実際にやってみる必要はありません。弱いカードをデッキに入れてしまうようなまずいプレイヤーは、絶対《羽ばたき飛行機械》が大好きだからです(こちらは冗談ではありません)
僕がビッグマナやWWクエスト,カルドーサレッドといったデッキに対して抱いている最大の問題点は,これらのデッキは過剰なまでに弱いカードを含んでいて,《Slaves of synergy/シナジーの奴隷》となっていることです.《メムナイト/Memnite(SOM)》,《信号の邪魔者/Signal Pest(MBS)》,《ラノワールのエルフ/Llanowar Elves(M11)》,そして《不屈の自然/Rampant Growth》といったカードは,ゲームの様々な局面でトップデッキするのが恐ろしいカードになります.そして,採用枚数と同じだけのそのカードを引いて,他のパーツが妨害されてしまうと,かなり困難な局面に陥るでしょう.
といっても,理解しなければならないのは,ベストなデッキが単体で強力なカードだけで構成されているわけではないということです.たとえばフェアリーがそうです.採用されているカードのうちいくつか,たとえば《ウーナの末裔/Scion of Oona》の様なカードは単純に“強力な”カードではありません.しかしデッキ構造がそういったカードを強力にするのです.デッキの残りの部分を占めるカードが単体で十分強力なら,シチュエーションを選ぶカードを数枚投入できるでしょう.“常に弱いけど限られた状況下で強力なカード”には問題があると僕は考えていますが.
理由を知る
しかしながら,“単純に強い”だけではそのカードを使うのに十分な理由になりません.採用するカードはそこにいるべき理由が必要なのです.理解して欲しいのは次のことです:カードのテキストだけでは強さの理由として十分じゃない!
ちょっと前に僕はTwitterで“《リリアナ・ヴェス/Liliana Vess(M11)》が突然強力なカードになった理由を誰か教えてくれ”とつぶやきました.GP Barcelona のトップ8に言及してのことですが,彼女は,少なくともそのフォーマットではそれほど使われるカードではありませんでした.返ってきた呟きの大多数はカードテキストのコピペでした.“彼女は手札破壊ができるからつよい”とか“なんでもデッキから探してこれるよ!”とか“初期忠誠値が高いよ!”とか“奥義でゲームを決められるよ!”です.みんな,それは彼女がなにをしてくれるかで,何故彼女が強いかではないよ…それに,もしそれが彼女の全てでも,僕はそれを人に尋ねる必要はありません–自分自身でテキストを読めばいいのですから.
カードのテキストそのものよりも重要なのは,そのテキストは常に変わらない,という事実です.前年は彼女を使うプレイヤーはいませんでしたが,彼女はディスカードも,教示者能力も,リアニメイトも今と同じく使うことができたし,初期忠誠値は5だったのです.本当に考えなくてはならないのは,なぜ彼女が「今」強いのか,環境のどんな変化が彼女を強力なカードにしたかということです.
これを指摘すると,何人かは “ディスカード等で剣に対処できたなら,相手の場に残るのは1/1とか1/2とかで,彼女は高い忠誠値を持っているから簡単には対処されない.もしソードが場に出ていたとしても,剣を持った石鍛冶の攻撃にリリアナは3ターン耐えることができる.その間は剣を無駄に出来る.”といった答えにたどり着くことができます. また,“リリアナが入るデッキは《コジレックの審問/Inquisition of Kozilek(ROE)》によって打ち消し合戦を回避することができる.それに,リリアナは《審問》されない”といった説明もできるでしょう.
ここでようやく意味が出てきます.これはリリアナが強いという意味なのでしょうか?いいえ.しかし彼女が「今」強いのなら,これらはその理由を説明しています.“ただでディスカード能力が使える?じゃあ使おう!”という姿勢ではなぜそのカードが強いのか理解できません.なぜ吸血鬼にはリリアナが入らないのでしょう?そのデッキで使ってもただでディスカードができて,教示者能力で好きなカードを引っ張ってこられて,さらに奥義をより上手く使えるデッキだというのに!
なぜそのカードが強いのかが分からなければ,デッキに採用するのが正しいかどうか,彼女のためにタップアウトするのが正しいのかどうか,サイドイン・アウトするのが正しいのかどうか,彼女を守るためにチャンプブロックするのが正しいのかどうかなどは絶対に分からないでしょう.
その「なぜ」をよりよく理解するための方法はいくつかあります.一番簡単なのは,具体的な何かを聞くかわりに単純に「なぜ」かを尋ねるようにするのです.例えば,“このデッキ相手に何をサイドアウトする?” とか, “この初手をキープする?” とか聞かれることが良くあります.僕がどうサイドボーディングするかとか,キープするかどうかなどを教えると,彼らは“ありがと”と言うだけで,“なぜ”かを聞くことがありません.そして次の日には微妙に違ったデッキと当ったり,微妙に違う初手を引いたりして,また僕がどうするか聞いてくるのです.理屈を理解していれば自分で判断できることなのに.プレイテストの間は,「なぜなに君」になるべきなのです.
プレイテストをより良くするための話に戻りましょう.よいプレイテストを行うためには,なにが勝ったかをケアするのではなく,変わりになぜ勝てたのかを考えるように必要があります.青白タッチ黒のデッキがヴァラクートの《原始のタイタン/Primeval Titan(M11)》に安定して対処できずに負けることが分かったら,サイドに《瞬間凍結/Flashfreeze(M11)》を加えることで解決できるでしょう.それでもタイタンをこちらがタップアウトした隙に打たれて負けるのなら,代わりに《記憶殺し/Memoricide》を試してみるべきなのかもしれません.逆にヴァラクートを使っていて青白タッチ黒に負ける,そしてその理由が《石鍛冶の神秘家/Stoneforge Mystic(WWK)》と《饗宴と飢餓の剣/Sword of Feast and Famine(MBS)》にあるのなら,《稲妻/Lightning Bolt(M11)》を使うべきなのかもしれません.ジェイスや打ち消しに敗因があるようなら,《緑の太陽の頂点/Green Sun’s Zenith(MBS)》より《召喚の罠/Summoning Trap(ZEN)》使うべきなのかもしれませんし,もしかしたら《ガイアの復讐者/Gaea’s Revenge(M11)》を再び試してみるべきなのかもしれません.問題を解決するためには,問題を特定しなければなりません.プレイテスト中に適切な疑問を持つことで,問題の特定を行えます.この場合に必要な疑問が”why”なのです.
今週はここまでです.もちろん,僕が書いているものほぼ全てに言えることですが,これが完全に正しい訳ではありません–時には,この内容から逸脱するのが正しい場合もあるのです.時には,あるデッキに対して皆が否定的であっても,その野心作にこだわり続けるのが正しいこともあります.時には,本当にツキが無かったり,まずいプレイを連発していたりもします.こういったことに気を留めておくことは大切ですが,僕の経験から言うと,大抵自分を納得させているだけの場合が圧倒的に多いです.最後の最後まで自分を愚かだと見なせるのは自分だけであり,そうするのはあまりいいことではありません.
この記事を貴方が楽しんでくれますように.ではまた来週お会いしましょう.
PV
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「この環境ではこれが強いからこうした」みたいなのがはっきりしている、ガチかつ工夫のあるデッキの調整記を読むのはおもしろい。最近だとみつひでさんのCryptic Whiteとか。
最近MTGやってないから俺のソウルジェムがどんどん濁っていく…なので来週日曜日はリミテやりに名古屋いくつもり
Posted by Paulo Vitor Damo da Rosa
April 27, 2011
Hello!
僕が「デックビルダー」と見なされることは滅多にありません.近年,僕は強力なトーナメントデッキを多数手がけてきましたが,皆が思いもつかない凄いアイディアから生まれたデッキは殆どないのです.僕が最も関与したデッキ―PTオースティンでのDarkDepth―も,核となるアイディアは僕が思いついたものではありません.デッキ内の52枚のカードはおそらく僕の選択によるものなのでしょうが,Hexmage/Depthsが僕から生まれた訳ではないのです.
しかし,それでも僕はPTで好成績を挙げ続けられています.実際,僕はかなり強力なデッキを携えて出ていますから (それが僕の独力で作れたことは一度たりともありません).この記事の目的はデックビルダーでない人の目線からのデッキ構築術の説明です.皆が陥りやすいミスを挙げ,いかにしてそれを乗り越えるかについて語ろうと思います.
創造性(Innovation)―最も過大評価されているもの
ちょっと前に,AJ Sacherが「創造性」がいかに過大評価されているかについての記事を書きました.その反論として,Conleyは「創造性」が実際には過小評価されているとの記事を書きました. 私見では,どちらの意見も正しいです.僕は自身を「デッキビルダー」ではないと言いましたが,それは僕が何もアイディアを持っていないことを意味しません.沢山持っています.そのうちの大部分―いや殆ど全部といってもいいでしょう―は実際に使えうるものではありません.なぜでしょう?僕を含めて,皆はなぜ使用に耐えないアイディアを思いついてしまうのでしょう?
その様なことが起こるのは,僕が普通の人だからです.恐らく貴方も僕と同様に普通の人でしょうから,劣悪なアイディアを多数抱いてしまっているはずです.そうでない,と思うのなら,それは貴方が現実を認めたくないだけです.高いレベルで成功したいのなら,大抵のアイディアはまず使用に耐えないものであることを認める必要があります.僕由来のアイディアでも,AJやConley,Mark Rosewaterが思いついたアイディアでも,どれもそうなのです.
プレイングにおいても構築においても,時には本筋から離れたところか見つめることが必要です.しかし,僕には皆がそれをかなりやりすぎているように思えます.貴方がもし本当に勝つことのみを目的としているなら,考えるべきは何がベストかについてで,なにが最も人と違うかとか,革新的だとかそういうことではないのです.僕が好きなハリー・ポッターの名言のひとつ(素晴らしい作品だから一杯ある内のひとつだよ.ほんとだよ)に,Dolores Umbridgeが5巻で言った” 進歩のための進歩は、奨励されるべきではない(rogress for progress’s sake must be discouraged
といっても,これには別な側面もあります.僕はMTGのゲームにおいて,創造性が害悪になりうると考えていますが,盤外で素晴らしいご褒美をもたらすこともあります.Conleyの記事から引用してみましょう.“長い目でみた勝率を増すことを考えないのなら,恐らく今している様なことをしないだろう(If we did not think that we were improving our chances at winning over the long run, we would probably not be doing what we are doing.)” 「MTGにおける勝利」を単純なゲーム単位での勝利以上のものとした場合は,この意見は全くもって正しいと思います.創造性を発揮することができれば,貴方はMTGのコミュニティで一躍有名になれるでしょう.皆革新的な物事が大好きですからね.また,独自のデッキでゲームをするのはゲームで勝つことより単純に楽しい,という人もいるでしょう.こうしたことによって得られる喜びが,1マッチの勝利より重要なこともあります.僕は、皆が創造性を発揮したがるのはこれが理由だと考えています. たとえ意識的でないにしても―独自の策謀によって勝機を掴んでいるところだと信じ込んでいても,実は人と違ったことがしたいだけだったりするのです.
もう一度Conleyを例に考えて見ましょう.彼はとても有名なプレイヤーで,多くの人が彼を知っていて、そして愛しています.これは彼の成績がもたらしたものでしょうか.とてもそうとは言えません.もちろん彼の成績は悪いものではなく,むしろかなりいいのですが,彼の人気ぶりを説明できる程のものではありません.彼と同じくらいの成績を残していても,名前を聞いたことすらないプレイヤーはたくさんいるでしょう.彼があれほど有名で人気者なのは彼が一風変わったデッキを使うからです.この点において,最適な、優秀なデッキを使うのではなく,創造的であろうとする彼の振る舞いは,Conleyにより多くの報酬をもたらしています.彼が無難なデッキを選んでいれば,GPであと2つはTop8に入れていたと思います.しかしそれによって+2回のTop8を成し遂げていたとしても,彼の知名度は恐らく今より低いでしょう.
ここは勘違いしてほしくないのですが,僕は何が正しいかとかそういうことを話したい訳ではありません。ただ何がどうなっているかについて言及したいだけなのです.僕は皆が何を目的にしてその行動を取っているのか完璧に理解していますし,それが間違っているとは思いません.といってもConleyには、普通のデッキを使ってのベスト4より、野心的なデッキを使ってのベスト8を量産してほしいのですが.僕が伝えたいのは,自分の行動の背景にあるものを理解して欲しいということです.あなたがちゃんと自覚的な選択が行えるように.もしあなたがマッチそのものの勝利を望むのなら, 大抵の場合単純に“good deck”を選べばよくて,名声や評価,fortune, womenが欲しければ創造的なデッキに挑戦すればよいのです. ただ理解しておかなければならないのは,創造性を発揮するのはかなり×3容易いということです.しかし創造性を発揮したデッキが評価を得られる程に勝つ,というのはかなり難しいのです.創造性の高いデッキを僕はいたる所で目にしますが,“有力な”選択肢を選ぶことを諦めたら,創造的であることは難しくないのです. 僕はその様なことをすることは誰にでもできることで,それで得られるメリットは大したことがないと見なしています.どのイベントでもConley Woodsの様なことをしている人が100人はいますが,貴方はConley Woodsしか名を知らないでしょう.その枷にも関わらず,十分な勝利を挙げているのは彼だけだからです.彼はほとんどどのイベントでもオリジナルのデッキを使っているので,そういった結果が伴うのでしょう.マッチについて言うのなら,彼はオリジナルのデッキを使うことで,今以上の勝利を断念しているのです.
こういった話を,僕は傍観者の視点のみから述べている訳ではありません–僕自身にもそういった経験が確かにあるのです.一風変わったカードやデッキを,それが強いという以外の理由でプレイしたことは何度もあります.かなりはっちゃけた経験もあります.もしかしたらご存知かもしれませんが,僕がまだまだ若かった頃,GP Curitiba(エクステンデッド)において《機知の戦い/Battle of Wits》デッキを使ったことがあるのです.僕がこのデッキを使った理由は,それが最善のデッキであったからではありませんでした(そしてその事実を認めるのには長い時間が必要でした.本当です).といっても,それが恐ろしく酷いデッキだとは考えていませんでした.実際に勝てるデッキだと考えていましたが,who are we kidding?僕がそのデッキを使った理由は,人と違うから,認められたいから,カバレッジに載りたいから,というものだったのです.その目論見は満たされました–2日目にすら残れなかったのに,僕は写真を撮られさえしたのです(3bye持ちで,7ラウンドしかなかったのに!結局いい結果を出す必要がないのなら,それなりに風変わりなデッキは他にもあるはずです). トーナメントが終わった頃には,誰もが僕がだれだか知っていました–そのGPにおいて5位でフィニッシュした人より,“「機知の戦い」小僧”の方が認知度が高かったと僕は思っています.しかし,この結果には価値があるでしょうか?それはNOです.真面目なデッキを使っていたら,と今では思います.殆どの人が僕を愚か者だと見なしましたし,それはいい意味での名の売れ方ではありませんでしたからね.
内面から生じる罠
自分で組んだデッキが素晴らしいものであると切に思いたがるのは,デッキを構築・選定する際に生じる問題のひとつです.目指した大会に向けて構築・調整した独自のデッキで優勝したいいう願望はだれもが持っています. TOP8の実況において,自分が組んだデッキがいかに前代未聞のものかをBrian David-MarshallとRichard Hagonが解説している場面を妄想したことは誰もがあるでしょう.Mark Rosewater が,環境を壊すカードを刷ってしまってごめんなさいとツィートする場面とか.そんなことが二度と起きないために,開発部に採用されてしまうかもしれない…とか.ドヤ顔で優勝レポを書いている場面とか.Facebookのコメントがデッキについての話で埋まってしまって,MTGをやらない友人が困惑するといけないから自分のファンページを新たにつくらねば…とか. こういう境地に至ってしまうと,どんな行動をとってしまうでしょう?
自分のデッキが強いと信じたくても,大抵の場合そうではなく,そのデッキを断念せざるをえないということは,理解しておかなければなりません.最大の問題点は,周りを見ようとしない人ほど盲目的な人間はいないということです.そして,自分の創造性が絡んでくると,我々は非常に盲目的になってしまうのです.これがプレイテストの最中に生じるのです.
プレイテストをする目的は,何が良くて何が悪いのか,そして特定のデッキ/マッチアップにおいてどう動くべきかの解明であるべきです.しかし,大抵のプレイヤーはプレイテストそのものを深刻に考えすぎています.自分のデッキがいいか悪いかをはっきりさせるのではなく,皆に自分のデッキの強さを見せ付けたいと考えているのです.相手が用意してきたデッキを悪く言ったり,それを証明するために打ち負かしたりすると,怒り出すでしょう.こういう場合,彼らは負けると必ず言い訳をします. 相手がそういう状態に陥っているかは,次の様なことを言うかで判断できます– “僕は不運だ/キミはラッキーだ”というもっとも簡単でありふれた言い訳です.プレイテスト中に何度もこういう考えをしてしまう自分に気づいたら,一息ついて,ゆっくり考えてみましょう―そうではなくて,自分のデッキがそんなにいいものではないのかもしれないと.
しかしながら,これより更に尤もらしいが故に危険な言い訳が存在します.“僕のプレイが悪いんだ” というものです.
これがまずい理由は,譲歩している部分があるせいで,問題点を認めている様に見えてしまうことです.自分自身も,皆も妙に納得してしまいます.―しかし,既に1つ間違いを認めているのに,なぜデッキが弱いことは認められないのでしょう?間違いを認める寛容さがあるのになぜ?
では例として,両親が旅行で不在の間に初期を二つ割ってしまった場合について考えて見ましょう.親が帰ってきて,貴方は「犬がそれらを壊した」と説明したとします.それが信じてもらえるかどうかは分かりませんし,もしそのうちの1つを貴方が壊した証拠が見つかったなら,もう1つも貴方が壊したと親は自然に考えるでしょう.しかしもし,あなたが即座に「小さい方の食器は僕が壊したけどでかいのは犬が壊した」と説明すれば,信じてもられる可能性が増すでしょう.なぜなら,貴方は既に間違いを認めることができると示しているからです.片方の間違いを認められるのなら、2つ分の食器の間違いも認められると見なされるでしょう.なにかまずいことをしてしまったら,より些細な方のミスを認めてしまえば,早いうちから「逃れる」ことができます.プレイテストについて言えば,「プレイングが不味い」ということより「デッキが強い」ということの方がより重要なのです.しかしプレイングが不味いことを認めても,それはデッキが強いことの証明にはなりません!意識的にしろ無意識的にしろ,こういったことは容易に起こりえると僕は確信しています.そのからくりに自覚的であることが非常に重要なのです.
デッキビルダーの書いたレポートにはその様な表現が散見されます.有名なデッキビルダーはよく,僕はミスをしたから負けた,でも“デッキでは勝っていた”というようなことを非常によく言います.彼らがこんなことを言うのはデッキビルダーとしての名声をプレイヤーとしてのそれよりも重要視しているからです.デッキが弱いと思われるよりも,プレイングが下手だと思われるのを選ぶのです.その方が受け入れ易いのでしょう.また,調整が進んでいると引き返しづらいというのもしばしば理由となります.
もう1つ重要な点として,私たちは非常に選択的な記憶力を持っていることが挙げられます.負けるはずがなかったと感じたマッチは記憶に残りますが,当たり前の様に勝ったマッチはすぐに忘れてしまうのです.強いデッキができたと感じ,そのデッキ最初のプレイテストでもよく勝てた,という事も時にあると思います.しかしこの場合,対戦成績を気にするだけでなく,ゲームの内容もケアするべきです.貴方がただツイていただけだったり,対戦相手があまりよくないプレイヤーだったりすると,結果は歪んでしまっています.
GPダラスにおいて,野心的なデッキを使った友人がいました.彼は2日目進出に1勝足らず,という結果で終わったのですが,僕がデッキについて尋ねると”デッキはいい出来だったよ.負けたマッチは,どれも僕が違ったプレイをしていたら勝てたものだったから,2日目進出に値するデッキだったよ”という答えが返ってきました.彼の言は正しいのかもしれませんが,ならば彼が勝ったマッチはどうだったのでしょう?相手が違ったプレイをしていたら負けていたのではないでしょうか.負けたマッチにおいて,“デッキでは勝っていた”マッチを数えるならば,勝った試合における“デッキでは負けていた”マッチを数えなければフェアではないでしょう.こういう場合,貴方はただ自分を騙しているだけだと思います.繰り返しになりますが,人は受け入れ易いものを受け入れるのです.
強いデッキは強いカードを使う
最近,様々なライターが“強力なデッキは強力なカードを使う(good decks play powerful cards)”という様なことを主張していますが,私は手放しでは賛成できません.この主張には,どうやって“強力なカード”を評価するか,という問題点が潜んでいます.ありがちな方法としては,大会での10位までのデッキリストを作り,カードが総計何枚含まれているか数えるというものがあります.問題は,そのカードがtop10のリストに含まれている理由は,強いデッキに含まれているからだということです!こうしてMenendian の言うところの,ある種の堂々巡りが生じます“最強のデッキはより質の高いカードを使っていて,そういったカードは最強のデッキで使われている” –これは道理ですし,知的に見えますが(結局,貴方のベストなカードは最強のデッキで使われて,その最強のデッキは貴方のベストなカードを使うのです),実際にはなんの役にも立ちません.
これについては,“強いデッキは単体で強力なカードを自然に採用する(good decks will generally play cards that are intrinsically powerful)”と言うに留めておくのがよいと思います.強力なカードとは,“強力なデッキで使われる”というものではなく(それだと前述の堂々巡りですから)– そういったデッキを打ち破れるカードだとか,劣勢時に引いて嬉しいカードとか, 一枚で状況を変えられるカードとか,特定のシチュエーションで相手に引いて欲しくないカードとか,“なぜ俺はあのカードをデッキに入れなかったんだ!”と願ってしまうカードとかです.同じことが弱いカードについても言えます–引いてがっかりするカードや,“なぜこんなカード入れたんだ…”とか疑問に思ってしまうカードは弱いカードなのです.
《精神を刻む者,ジェイス/Jace, the Mind Sculptor(WWK)》が《羽ばたき飛行機械/Ornithopter(M11)》の様なカードよりずっとパワフルなカードであることはすぐに気づくでしょう.片方ずつ手にとって,それぞれのテキストを読めばいいだけです.これをやるための《精神を刻む者,ジェイス/Jace, the Mind Sculptor(WWK)》を所持していないなら,すぐにこの記事を閉じてください–明らかに貴方は真剣にMTGに取り組んでいません (これは冗談です.この手の話はKyle Boggeymansに任せましょう(訳注:カード資産とかカジュアルとかその辺についていくつか記事を書いてる)). 《羽ばたき飛行機械》を持っていないなら、これを実際にやってみる必要はありません。弱いカードをデッキに入れてしまうようなまずいプレイヤーは、絶対《羽ばたき飛行機械》が大好きだからです(こちらは冗談ではありません)
僕がビッグマナやWWクエスト,カルドーサレッドといったデッキに対して抱いている最大の問題点は,これらのデッキは過剰なまでに弱いカードを含んでいて,《Slaves of synergy/シナジーの奴隷》となっていることです.《メムナイト/Memnite(SOM)》,《信号の邪魔者/Signal Pest(MBS)》,《ラノワールのエルフ/Llanowar Elves(M11)》,そして《不屈の自然/Rampant Growth》といったカードは,ゲームの様々な局面でトップデッキするのが恐ろしいカードになります.そして,採用枚数と同じだけのそのカードを引いて,他のパーツが妨害されてしまうと,かなり困難な局面に陥るでしょう.
といっても,理解しなければならないのは,ベストなデッキが単体で強力なカードだけで構成されているわけではないということです.たとえばフェアリーがそうです.採用されているカードのうちいくつか,たとえば《ウーナの末裔/Scion of Oona》の様なカードは単純に“強力な”カードではありません.しかしデッキ構造がそういったカードを強力にするのです.デッキの残りの部分を占めるカードが単体で十分強力なら,シチュエーションを選ぶカードを数枚投入できるでしょう.“常に弱いけど限られた状況下で強力なカード”には問題があると僕は考えていますが.
理由を知る
しかしながら,“単純に強い”だけではそのカードを使うのに十分な理由になりません.採用するカードはそこにいるべき理由が必要なのです.理解して欲しいのは次のことです:カードのテキストだけでは強さの理由として十分じゃない!
ちょっと前に僕はTwitterで“《リリアナ・ヴェス/Liliana Vess(M11)》が突然強力なカードになった理由を誰か教えてくれ”とつぶやきました.GP Barcelona のトップ8に言及してのことですが,彼女は,少なくともそのフォーマットではそれほど使われるカードではありませんでした.返ってきた呟きの大多数はカードテキストのコピペでした.“彼女は手札破壊ができるからつよい”とか“なんでもデッキから探してこれるよ!”とか“初期忠誠値が高いよ!”とか“奥義でゲームを決められるよ!”です.みんな,それは彼女がなにをしてくれるかで,何故彼女が強いかではないよ…それに,もしそれが彼女の全てでも,僕はそれを人に尋ねる必要はありません–自分自身でテキストを読めばいいのですから.
カードのテキストそのものよりも重要なのは,そのテキストは常に変わらない,という事実です.前年は彼女を使うプレイヤーはいませんでしたが,彼女はディスカードも,教示者能力も,リアニメイトも今と同じく使うことができたし,初期忠誠値は5だったのです.本当に考えなくてはならないのは,なぜ彼女が「今」強いのか,環境のどんな変化が彼女を強力なカードにしたかということです.
これを指摘すると,何人かは “ディスカード等で剣に対処できたなら,相手の場に残るのは1/1とか1/2とかで,彼女は高い忠誠値を持っているから簡単には対処されない.もしソードが場に出ていたとしても,剣を持った石鍛冶の攻撃にリリアナは3ターン耐えることができる.その間は剣を無駄に出来る.”といった答えにたどり着くことができます. また,“リリアナが入るデッキは《コジレックの審問/Inquisition of Kozilek(ROE)》によって打ち消し合戦を回避することができる.それに,リリアナは《審問》されない”といった説明もできるでしょう.
ここでようやく意味が出てきます.これはリリアナが強いという意味なのでしょうか?いいえ.しかし彼女が「今」強いのなら,これらはその理由を説明しています.“ただでディスカード能力が使える?じゃあ使おう!”という姿勢ではなぜそのカードが強いのか理解できません.なぜ吸血鬼にはリリアナが入らないのでしょう?そのデッキで使ってもただでディスカードができて,教示者能力で好きなカードを引っ張ってこられて,さらに奥義をより上手く使えるデッキだというのに!
なぜそのカードが強いのかが分からなければ,デッキに採用するのが正しいかどうか,彼女のためにタップアウトするのが正しいのかどうか,サイドイン・アウトするのが正しいのかどうか,彼女を守るためにチャンプブロックするのが正しいのかどうかなどは絶対に分からないでしょう.
その「なぜ」をよりよく理解するための方法はいくつかあります.一番簡単なのは,具体的な何かを聞くかわりに単純に「なぜ」かを尋ねるようにするのです.例えば,“このデッキ相手に何をサイドアウトする?” とか, “この初手をキープする?” とか聞かれることが良くあります.僕がどうサイドボーディングするかとか,キープするかどうかなどを教えると,彼らは“ありがと”と言うだけで,“なぜ”かを聞くことがありません.そして次の日には微妙に違ったデッキと当ったり,微妙に違う初手を引いたりして,また僕がどうするか聞いてくるのです.理屈を理解していれば自分で判断できることなのに.プレイテストの間は,「なぜなに君」になるべきなのです.
プレイテストをより良くするための話に戻りましょう.よいプレイテストを行うためには,なにが勝ったかをケアするのではなく,変わりになぜ勝てたのかを考えるように必要があります.青白タッチ黒のデッキがヴァラクートの《原始のタイタン/Primeval Titan(M11)》に安定して対処できずに負けることが分かったら,サイドに《瞬間凍結/Flashfreeze(M11)》を加えることで解決できるでしょう.それでもタイタンをこちらがタップアウトした隙に打たれて負けるのなら,代わりに《記憶殺し/Memoricide》を試してみるべきなのかもしれません.逆にヴァラクートを使っていて青白タッチ黒に負ける,そしてその理由が《石鍛冶の神秘家/Stoneforge Mystic(WWK)》と《饗宴と飢餓の剣/Sword of Feast and Famine(MBS)》にあるのなら,《稲妻/Lightning Bolt(M11)》を使うべきなのかもしれません.ジェイスや打ち消しに敗因があるようなら,《緑の太陽の頂点/Green Sun’s Zenith(MBS)》より《召喚の罠/Summoning Trap(ZEN)》使うべきなのかもしれませんし,もしかしたら《ガイアの復讐者/Gaea’s Revenge(M11)》を再び試してみるべきなのかもしれません.問題を解決するためには,問題を特定しなければなりません.プレイテスト中に適切な疑問を持つことで,問題の特定を行えます.この場合に必要な疑問が”why”なのです.
今週はここまでです.もちろん,僕が書いているものほぼ全てに言えることですが,これが完全に正しい訳ではありません–時には,この内容から逸脱するのが正しい場合もあるのです.時には,あるデッキに対して皆が否定的であっても,その野心作にこだわり続けるのが正しいこともあります.時には,本当にツキが無かったり,まずいプレイを連発していたりもします.こういったことに気を留めておくことは大切ですが,僕の経験から言うと,大抵自分を納得させているだけの場合が圧倒的に多いです.最後の最後まで自分を愚かだと見なせるのは自分だけであり,そうするのはあまりいいことではありません.
この記事を貴方が楽しんでくれますように.ではまた来週お会いしましょう.
PV
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「この環境ではこれが強いからこうした」みたいなのがはっきりしている、ガチかつ工夫のあるデッキの調整記を読むのはおもしろい。最近だとみつひでさんのCryptic Whiteとか。
最近MTGやってないから俺のソウルジェムがどんどん濁っていく…なので来週日曜日はリミテやりに名古屋いくつもり
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コメント
すごく楽しめました。
>人は受け入れ易いものを受け入れるのです.
これには考えさせられますね。
確かに最も受け入れやすいのは「自分のプレイが不味かったせい」であり、そこで思考停止してしまいます。
大きな大会で結果を残しているコピーデッキを使っている時などは特にそうですね。
「このデッキは既に結果を残している。悪いのは僕のプレイの方なんだ」と。
そのデッキが既に賞味期限切れである可能性をそれより先に考えたりはしません。
正しくものを見ると言うのも難しい事ですね・・・。
PT名古屋は僕も行くつもりです。
もしも会えたら現地でお会いしましょう。
ペンティーノさんやっぱり凄いですw
記事の内容が自分的にも凄いタイムリーで勉強になりました。
ちょっと前まで使ってたCaw-Bladeが友達の作った出産の殻デッキ
(この記事でいうところの創造的なデッキ)に負け越した時に「トップメタなのに負け越しwwププッ」みたいなこと言われてちょっと落ち込んでたんですけど、
負けた状況を思い出して、プレイだけじゃなく、構成がまずかったってことに気付いたことを思い出しましたw
(その時は捧げ物メインに入れたら結構改善されました。メインに入れてないとボロボロだった)
デッキの内容を見直すことの大切さを改めて知る上でも本当にいい翻訳でした。
またペンティーノさんの翻訳、読みたいですねw
リンクさせて頂いたので連絡しておきます。
それにしてもこの記事は素晴らしいですね!
僕もさっき「自分のプレイングミスが…」的なことを書いたばっかりだったりしますが…(まあ少なくともプレイング"も"ぬるかったのは間違いないですが)
他にも役に立ちそうな記事がたくさんあるのでまた読ませていただきます。
よろしくお願いします。
とてもためになる記事をありがとうございます!
自作デッキについ甘い評価をしてしまうというのはよくある話で、僕は去年のGP仙台のとき前日トライアルまで自分のデッキが良い選択でないことに気付けず本戦で使うデッキに困るという苦い経験をして深く反省するハメになりました。ですのでこの記事はなかなか耳に痛いですね。
リンクさせていただきましたのでよろしくお願い致します。
タイムリーなことに、GPシンガポールではPVが優勝しましたね。
この記事を読んだあとだと、
その優勝デッキに1枚入ってる聖別されたスフィンクスについてより考えさせられます。
たまにでも翻訳記事を書いて頂けると嬉しいなと思います!
リンクさせて頂きました。よろしくお願い致します〜
>>Dolores Umbridgeの言葉
日本語版は、その部分だけ切り取ると、
「進歩のための進歩は、奨励されるべきではない。」
となってます。
それと、リンクさせていただきます。
おれなんてもう真っ黒すぎて杏子ちゃんでも救出不可能なレベルだよwww
うちの社長絶対QBだろ
ただ、最初の創造性のくだりは、強いデッキがほぼ固まった環境を前提に書かれているように見えたのが若干気になりました。環境初期はもう少し創造性の評価を高く見ても良い気もしますが……。
:If you do not own an Ornithopter, then you automatically pass, because all the bad people love Ornithopter (this is not a joke).
>《羽ばたき飛行機械/Ornithopter(M11)》を持っていないなら,この記事を読んではいないでしょう--そういう人は《羽ばたき飛行機械/Ornithopter(M11)》が大好きですからね(これは冗談ではありませんよ).
これだと前後の意味がつながらない気がします。ここでの「pass」は(試験などに)「通る」というニュアンスではないでしょうか。
:《羽ばたき飛行機械》を持っていないなら、これを実際にやってみる必要はありません。弱いカードをデッキに入れてしまうようなまずいプレイヤーは、絶対《羽ばたき飛行機械》が大好きだからです(こちらは冗談ではありません)。
対偶をとれば「《羽ばたき飛行機械》を持ってない奴はまずいプレイヤーじゃない」となるので、この実験をやってみる必要はない、ということになります。かなりまわりくどい訳になってしまっていますが、原文もまわりくどいのである程度は仕方ないかなという気もします。
良翻訳ありがとうございました。
これからもいい記事を読ませてください!
勝手ですがリンクさせていただきました。
勝手ながらリンクさせていただきます!